霰雨

首領の交代という言葉の意味の重さを、
人がどのくらい認識できているのかという事すら謎な世の中でも、
やはり本質は変わらず、
自身の芯がどれだけしっかりしているかという部分が大切なのであり、
それを分からせる方法は、音楽等の所謂芸術だと思うわけです。


インチキと常識と端(恥)の狭間で日々生きる自分にとっては、
疑惑及び作詞こそが生きる意味であり、
新陳代謝の果てにある結末のケツをまくる為の意識こそが真実なのです。


鼻毛を気にしてる間にも事は進んでいるし、
ヒゲを剃っても変わらぬ未来もある。


しかしながら、諦めたらそこで靴下に穴があきますし、
不快感を背負ってその後生きる事になるというこの事実。


くたばるかもしれないので、全力とは正にその通りでございます。
朝起きて五右衛門のような髪型でも何ら恥じる事は無い。
恥ずべきは己の先送りなのです。


くじ引きで貧乏人と、本気で思うておるのか。
私は満足を知らぬ。満ち足りるとは一体どのような事か。
貪欲なサメの如く生肉を喰らうのか。
もしくは分け与えるのか。


嗚呼。


世の中の通りこそが条理とはかけ離れた物であり、
我が魂の中に眠る(起きている)情熱こそが
唯一の存在の印であります。


これ、カメラをまわさんか。


うぬとは呼ぶな。まだ80%。


脳にシワが増える瞬間を一生の内であと何度感じれる事か。


カツラをかぶりサングラスをせずとも、みんな君を愛しておるぞ。


と、ツイッターのつぶやきを
おもむろにまとめてみる夜中の三時。